車を動かせる分だけの雪かきを、体力づくりにつながるからと自分に言い聞かせながら精をだした今冬も、確実に春にバトンタッチ!三寒四温を繰り返し、温かい日が多くなってきました。

「川べりには、つくしが顔を出しています」「春の風物詩“イサザ漁”が解禁しました」
「富山では、ホタルイカが大漁です」など、春の訪れのニュースが多くきかれるようになってきました。テレビやラジオ、新聞記事などから春を取り込んでいます^^。

卒業式を終えた人たちは、新たなスタートの準備に期待や不安を抱えているのでしょうか。短い春休み、心が休まる時間になるとよいと思います。

4月!桜の咲く頃、入園・入学式ですね。

仙台に行ってきました!!

東日本大震災から1年が経過しました。機会があれば実際にこの目で現地を見たいと思っていたところ、子育て支援を長年、仙台で展開しているNPO団体の活動をお手伝いできる機会があり、2月初めに仙台に行ってきました。

小松~仙台便は、雪で仙台空港におりれないため欠航。急遽、羽田→東京へ、新幹線を乗り継ぎ予定から4時間遅れで仙台へ入りました。無事に着けて良かったです^^。例年、雪が少ない仙台は、10年ぶりの大雪に。金沢よりは少ないのですが、雪質が違うせいか、歩道はスケートリンク状態で、数歩、歩くだけでもすご~く怖かったです(@_@;)

翌朝、昨年から支援に入っているNPOの方の案内で、海岸沿いの被災地をみてきました。三陸道で一気に南三陸町まで行き、そこから石巻~東松島小野駅前~仙台市内に戻るルートです。

前日の雪模様とはうってかわって、抜けるような青空です。写真は、南三陸町の被災地の状況です。以前を知らないものにとって、南三陸町は、海まで見渡せる見晴らしの良い広大な土地という印象でした。鉄筋の柱だけの建物がポツンポツン。

残っている基礎が建物の後を教えてくれます。補修や撤去には、まだまだ程遠く、先は長いと感じました。本当に何もなかったです。

ここはきれいに残っている?と思った海側に立つ2棟の町営住宅も、やはりそんなわけはなく、近づいてみると内部を津波がさらっていった様子が、目に飛び込んできました。窓枠に引っかかって風にヒラヒラ揺れている子ども服がなんともせつなかったです。

■「早く逃げてください」と女性職員が防災無線を流し続けた鉄塔跡。

■大通りに建っていたスーパーも壁だけが残っている状態。

■石巻の大川小学校です。3月4日に一周忌がおこなわれたことが報道されていました。皆さんも当時を思い起こされたのではないでしょうか。写真は、学校の前に設置されている焼香台です。千羽鶴やお花が飾られ、親御さんが日に何度もお参りに来ていらっしゃる様子が伝わってきました。全校生108人中70人死亡、4人不明。教師9人死亡、1名不明。海から押し寄せた津波が山にぶつかり、それが行き場を失い小学校になだれ込んできたことを知りました。避難の判断がどんなに難しかっただろうと思います。

雪を踏み、建物の奥のほうまで歩いてみました。とても寒くて早々に車に戻ろうとしたとき、建物が陽射しをさえぎる寒い場所で、雪からほんの少しだけ顔をだしていた緑の芽が目に入ってきました。気がついたことは奇跡のよう。子どもたちの声や笑顔を受け取った気持ちになりました。“希望の芽”と思いたいです。

■最後に、東松島小野駅前の仮設住宅に伺い、仮設の集会所で、自治会長(写真)さんにお目にかかりました。座る間もなく、震災当時のことを堰を切ったように話し始められたのが印象的でした。住んでいた野蒜から近くのお年寄りを載せて車で避難しようとしたこと、車が川の中へ。なんとか抜け出して岸へ。寒くて寒くて・・・お年寄りは助からなかったこと、その後、転々とした避難所のようす。ようやく入れた仮設住宅のこと。。。。話しはとまりません。話に引き込まれ、聴かせていただきました。当時の記憶の断片が日を追うごとにつながってきて、知ってほしい、受けとめてほしいという時期だったのかなと感じました。5年しかいられない仮設住宅のその後を考えながら、町づくりをしたいと話される言葉に、ご自身の使命を見つけられたようで、再生の兆しを受け取りました。同行してくださったNPO代表の「昨秋、会った時の表情とちがい、ものすごく明るくなった」と話された言葉がうれしく印象に残りました。

仮設住宅には、80世帯、280人の方が生活していらっしゃるそうです。
宮城県内には408ヵ所、22171戸の仮設住宅があります。

みんなつながれ!杜の子まつり

支援の輪をつなぐ子育て応援まつり開催事業
2012年2月4~5日 エルパーク仙台
主催:(特活)せんだい杜の子ども劇場

シンポジウム 「子どもの未来」と「復興支援」2012

~アートでつなぐ子どもの笑顔⇒人×地域~

石巻市教委の方の、震災時のジュニアリーダーサークルの活動報告で、震災後に神戸に視察に行ったこと、「10年後、20年後にこんなふうに変わりたい、変わらなければいけない」と子どもたちは話したそうです。自分の存在感や、関わりの中で生きていることや、役にたっているという想いが乗り切ることにつながる。

パネリストからは、つながりあって支えあう心の輪が拡がっていったことや、知ってる人、知らない人、大人、子ども、ご近所、ご近所でない人、たくさんの人がまざって一緒の時間を共有することが大切であること。支援が無駄ではなかったと、被災者たち自身の動きに発展しはじめたことなど、実感のこもった報告がありました。

励まされたという千葉大付属中からの「応援川柳」

(一部、 ご紹介します)

「東北よ、負けるな絶対、陽はのぼる」
「生まれくる 子どもの数だけ ある希望」
「希望へと毎日一歩 すすんでく」
「負けないで あんな津波に 負けないで」
「新しい 光見つける ささえあい」

「生きている かみしめながら 生きていく」
「終わりなき 未来への道 まず一歩」

子ども夢フォーラムもシンポジウム会場の隅でポスターを貼ってアピールさせていただきました^^。

「寄り添ってあげてほしい、寄り添ってあげてほしい」と電話のむこうから繰り返されたNPO代表の声。現場でお母さんたちと関わっているからこそ痛感していることなんだということが伝わってきました。

顔の見える関係だから、地域の人だから、なおのこと気持ちを吐露することを躊躇する心理は理解できます。

子ども夢フォーラムは、休憩室を兼ねた「ママパパサロン」を担当させていただきました。

地震の時、私は三人の子どもを連れて実家に行くため電車に乗っていて・・・・そのとき電車はトンネルの中・・・と、話しだされたおかあさん!最初は大きな爆発が起こったのかなと思ったそう。ずいぶん経ってから地震だとわかったこと、10時間後にようやく電車をおり歩き始めることが出来たこと。。。。。。被災した状況や場所など、各人各様だったことを改めて思い知らされた瞬間でした。

過去の経験から、仙台では津波を想定したマニュアルが綿密に整備されていました。避難所という認識も地域の中に周知されていたこともわかりました。でもそうした想定をはるかに超えた今回の地震、津波、加えて放射能事故だったのです!指定外の施設管理者にとって、責任の所在を憂慮しつつ、そうした事態に柔軟に対応することを迫られたことを伺いました。たくさんの課題が見えていました。

【研修担当者会議】

全国のチャイルドライン実施団体(現在77団体) が一堂に会し、子どもへの対応=聴くこと、を一定の質を保証するために研鑽する機会の一つです。

これからどういうチャイルドラインをめざすのか、そこに必要な研修は何?というテーマでグループにわかれて話し合いました。子どもの声から感じる“子どもの今”を意見交換しながら活動の原点に戻る作業です。

金沢ケーブルテレビネットの金沢コミュニティチャンネル広報番組に子ども夢フォーラムが取り上げられています。

番組は、金沢市の広報番組「いいね金沢まちづくりリポート」の
【おじゃまします!まちづくり(5分間) 】というコーナーです。

金沢市内のNPOなどのまちづくり団体の活動を紹介している番組です。
放送は、3月一ヶ月間、毎日、奇数時(1時、3時、、、、)でチャンネルは、デジタル031です。

新しいリーフレットがまもなく完成します。

今年度、県の「自殺防止緊急対策事業」の補助を受けてリーフレットを一新しました。まもなく印刷所から届く予定です。

子どもも大人も、ひとり一人大切な存在として生きあえるといいなぁという想いをこめて創りました。次号のニュースに同封させていただきます。

印刷所にお願いしてリーフレットをつくるのは、初めてです。これを一つのステップとして、これからも大人の方たちへの発信をこれからもすすめいければと存じます。 配布などのご協力をよろしくお願いいたします。